震災と言葉狩りと辰年
年明け前に年賀状でHappyや祝詞を避ける傾向が強い
という記事を新聞で見かけたのだけど……
実際はどうだったのでしょうか?
私に届いた年賀状みるとそうでもなかったのですが。
それで安心もしました。
それにしてもあまりにもマスコミが自粛ムードを漂わせようと
しすぎていた気がするのは私だけなのでしょうか。
被災地の人達に直接言われるのならわかるけども。
でも幸せを祝う気持ち、願う気持ちを狩るのもどうなんでしょう。
『生きて新年を迎えることができた幸せを祝うこと』を
なぜやたら忌避するのか。何故言葉を狩るのか。
思わぬ形で大事な友人を亡くしてしまったことはありますが
私にはちょっと理解できなかったです。
というより、まるで映画で見た戦時中のようで私は怖かった。
多数の意見が常に正しいとは限らないのは歴史が証明してるし。
とある戦争映画で郵便局員である旦那さんに徴兵命令が
下されたのだけど、奥さんが徴兵に対して複雑に思っていたら、
周りの女性達がその夫婦に
『私たちは夫を戦地に送り出した。貴方達もすべきだ』
みたいな事を言っていて……。
その女性達の強制力というか、集団の気持ち悪さというか、
不幸の痛み分けの強制に不快感を覚えた時の感触に似ていて……。
意思ではなく無理強いや強制であることに
とても嫌悪感抱いたというか……。
苛立ちと気持ち悪さを抱いたというか……。
…ってこういうこと言うと浮いてしまう気がしますけどね。
気にする人は辰の字も使えなかったのだろうな―と。
だって地震の震は雨に『辰』ですし。
集団行動に嫌悪感を懐いてしまうのは
集団に自分の感覚と意思を否定され続けた
過去のトラウマがそうさせるのかもしれません。
昨年何処かのお山の大将が亡くなって
嘆き悲しみ叫ぶお山の人々の映像が
テレビで流れていましたが
アレは本当に気持ち悪かったです。
新たなる境地へ
新たなる世界へと足を踏み入れてしまいました。
一瞬にして血の気がひきました。
まさか自分がこんなことになるとは思いもせず・・・
主婦検診で、新たな境地の「D2」判定が出ました(;_:)
要精密検査です。
バリウム検査にて・・・今までは単体のポリープのみだったのが、今回初めて多発性になってしまいましたぁ(>_<)

多発性って・・・あたしそんなに疲れてるのかしら!?
充実していそうでストレスフルな日々!?
もし癌化したら・・・様々な思いが脳裏をよぎっていきます。
そしてちょっと気分が悪くなってしまった神経質だったりする私(@_@;)
さっそくパソコンにて調べてみました。
30代の女性には胃に多発性ポリープが出来ることが多いそうです。
そして悪性ではなく、悪性化することも稀とのこと。
ただ精密検査によって胃カメラで確認してみることを勧めるということのようでした。
・・・とりあえず、ホッとしましたぁ((+_+))
でも油断はできないですよね、バリウム検査だけでは詳細まで分かりませんし。
思い起こせば、私の父も胃にポリープを持ち、潰瘍などで悩まされた人でした。
最終的にはピロリ菌が見つかって除去したとか言ってたなぁ・・・
よし、ここはひとつ胃カメラでもしてみようかな。
まだ子どもも小さいし残しては死ねない。
胃カメラなんてちょっと怖いけど、命はまだまだ惜しいもの。
万が一の時のため、いちどしっかりと見てもらっておこうかなって思ってます。
テンションが下がっているところに、友達から電話が入りました。
プリウスアルファをとうとう買ったから、助手席に乗せてあげる!とのこと。
お言葉に甘えて、カフェまでドライブしました。
後部座席に購入時の汚れよけシートをかけたままにするところが友達らしくて笑ってしまいました。
ちょっと気分が明るくなって、友達のありがたみを再確認です^^
自画像
明日の時間割を見て、
美術の文字を見つけるとガッカリしていました。
美術の時間が嫌いだったのです。
特に自画像を描けと言われると、
どうして飽きるほど見ている自分の顔を
わざわざ絵に描かないといけないのだと反抗したい気持ちになりました。
そんな反抗をしても取り合ってもらえないことはわかっていたので、
素直に従っていましたが。
描きたくないと言って描かずに済むものなら、
おそらく声を大にして叫んでいたでしょう。
自分の顔を、画用紙の上に描く必要性がわからないと。
自画像を描きたくなかったのは私だけじゃないと思いますが、
誰一人描きたくないと叫ぶ子はいませんでした。
少女マンガのような絵を描くのは好きでした。
「これが誰々ちゃんで、これが私」と言って、
ノートに可愛らしい女の子を描くことは自分からしてました。
男子や大人に言わせると、異常に目が大きくてキラキラしていて、
全体のバランスがとれていない女の子。
異常でもバランスがとれていなくても、一切かまわないのです。
なにせ、マンガなんですから。
それが美術の時間に描かされる自画像となると、そうはいかない。
キラキラした目は描けないし、
全体のバランスもきちんと考えなくちゃいけません。
鏡に映った自分を、ジッと見つめます。
何とか少しでも似せようと努力します。
精一杯頑張っても、イザ描くとまるで化け物。
目も口も鼻も、異常に大きくはないけれど非常に怖い。
自分の顔が整っているとは絶対に言わないけれど、
それにしてもこんなにひどくない。
もう少し何とかしようと描いては消し、消しては描く。
それを何度繰り返しても、何とかなったことはありません。
結局、自分とは似ても似つかない絵を自画像として
提出せざるを得ません。
私の顔を知らない人がこの絵を見て、
「この子はこういう顔なんだ」と思ったらどうしよう。
頼りは自分の味覚です
「○○風味」や「○○味」とされたお菓子。
実際に食べても、全然それらしさは感じない。
再現性の低さにガッカリしながら、
同じものを食べた人の声を聞いてみると、
「本当に本物のような味がする!」
「驚くくらいよく再現されている」と評価高し。
そのときは、かなり落ち込みます。
一体自分の味覚はどうなっているのだと。
その日の調子が悪かったのかもしれないと、
再び試してみることもあります。
そして二度目も一度目と同じ印象だと、さらに落ち込みます。
再び試すことなどしなけりゃよかったと、大きく後悔します。
また、その逆もあります。
「これはまさしくあの味だ!」
「さすが、このメーカーはいつも期待を裏切らない」
そんなときは、誰もが高く評価していると信じて疑いません。
ところが実際は、
「全然おいしくなかった」
「どこが○○風味なのかわからない」という声が大半。
そしてやっぱり思うのです。
自分の味覚は狂っているのだろうかと。
初めて挑戦する食品や新商品、気になるものなどは、
まず口コミを調べます。
でも、たとえ口コミでは人気が高くても、
自分の口には合わないこともあります。
反対に、多くの人から悪評を受けているものを
怖いものみたさで試してみると、
意外にも自分は気に入ってしまうこともあります。
そんなとき、頼りは自分の味覚なのだと痛感します。
口コミはあくまで目安。
「大好きなミートソースの味がする!」と思ったら、
パッケージには「トマト味」
たこ焼き味だと思えば、お好み焼き味。
焼きそば味だと信じていたものが、実際は単なるソース味。
シチューの味だと思っていたのに、本当はホワイトソース味などなど…。
そんなことはしょっちゅうです。
まぁ、どれも同じようなものさと、自分を慰めてみたり。